建設会社からの転職を決断した理由

転職について

転職するって勇気が必要ですよね。
私も勇気が出ずに長い間モヤモヤした状態で働いておりましたが、就職8年目にしてようやく転職を決意する事ができました。
最後のひと押しは何気ない妻の言葉だったのですが、そこに至るまで様々な要因がありました。
幼い子供と会えるのは早朝と夜中の寝ている間のみ、妻には大変な思いをさせ、私自身も毎朝吐き気を催しながら仕事に向かっていました。
それでもなかなか転職を実行しなかった理由は私が臆病だったからです。
環境が変わってしまう事への不安、次の仕事が見つかるのかという不安、給料減少への不安
考え出すとキリがなくなってしまい、結局もう少し我慢すれば会社も変わるはずと思っていました。
当然ながら、大人として自分の事は自分で決めていかなければなりません。我慢していれば上層部が入れ替わって会社も変わるはずなどという考えは、自分の事すら他人任せにする様な愚かな行為でした。
今回はそんな愚かな私が転職を決意するに至った理由を紹介していきたいと思います。

拘束時間が長い

読んだ通りですが、ブラック企業あるあるの一つ、拘束時間の長さです。
私は地方の建設会社勤務でしたので現場によって違いましたが、毎朝6時前に出発し、7時半頃出勤、業務終了後帰宅するのは23時頃というのが平均的なサイクルでした。
1日のうち、自分の時間は3分の1しかありません。しかも睡眠時間も含めてです。
改めて考えるとゾッとします。
また、建設業界では週休2日制を推進していますが、昔から土曜日は仕事が当たり前と思っている人間たちの中ではなかなか浸透せず、特に民間工事では当たり前のように週休1日での施行を要求されます。このような中では家族、恋人との時間など日曜日にしか確保できませんでしたし、その日曜日も仕事で結局数十連勤という事もありました。
我ながらよく8年も我慢したと思いますが、惜しい事をしたとも思います。
この8年間に学んだ事や身につけた技術は数多く、今の私の基礎にもなっています。それでもこの時間をもっと有効に活用し、多くのことに挑戦していたらと思うと、悔やんでも悔やみきれません。

元ぶら
元ぶら

出勤時には嗚咽、就寝前に子供の寝顔を見て

泣きそうになるのがルーティーンでした。

会社のための労働になってしまった

私は労働とは会社の為に行うべきものではないと考えています。
様々な意見があるとは思いますが、労働者が労働を差し出す以上それに見合った対価を支払う事は雇用者の義務であるはずです。しかし、私のいた会社は膨大な量の仕事を与え、慢性的な人員不足にもかかわらず最新の技術や、社内業務効率化のクラウドを導入し、生産性向上を謳う事で残業する事は悪でありその責任は社員にあると暗に主張していました。とある会議の席でみなし残業を超えた残業代は支払わない、残業を減らせない社員にも責任はあるという趣旨の発言が飛び出したこともあります。
私は、今でも当時の仕事が好きだったと自信を持って言えます。それでも当時の職場はあまりにも酷く、職場のみならず、この仕事を選んだ事さえも後悔してしまうほどでした。
会社のために努力し、会社のために給料もプライベートも我慢する、そんな状況には耐えられず、転職の意思が固まっていきました。

元ぶら
元ぶら

この時点で「転職する事」は決意しました。

恥ずかしながら、いつ辞めるかはまだまだ

うだうだと悩む事に…(^^;

家族の後押し

転職する事は決めたものの、辞めるタイミングはいつが良いか考え、実行に移せずにいました。
最後のひと押しは妻の言葉でした。
ある休日に車で移動している際、いつものように仕事を辞めたいと話す私に痺れを切らしたのか、妻がスマホを操作し一言。

ぶら妻
ぶら妻

役所の募集まだ間に合うよ

応募しといてあげようか?

元ぶら
元ぶら

…役所ね

とりあえず履歴書書くか。

この後帰宅し、詳細を調べた後転職サイトにも登録し、私の転職活動が始まりました。
なにそれ?と思うかもしれませんが、この時私は、このまま一生会社の文句を言い続けながら時が流れていく事を想像した結果、時期なんていつでも良いから今動き出さなければと考えました。

まとめ

以上が【私が建設会社から転職した理由】です。
転職に勇気が必要な事は分かりますし、転職すれば絶対良くなる、などという保証はありませんが、あとは少しの勇気だけ、という方は一度未来の自分の事を想像してみて下さい。
現状に不満があり、未来も幸せでないのなら、転職は状況を変える良い選択肢の一つです。
私にとっての妻の言葉のように皆様の背中を押せる記事を目指して更新を続けますので、今後ともよろしくお願いします。

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